WHAT'S NEW? 3/22


NEWS!!
エンジェル・ハンズ
遂に待望の電子書籍化、
絶賛発売中!!




■ENTRANCE■

編集前記エッセイ更新しました。(4/15) 

■STAGE1■


海洋冒険小説
Missing 3 〜中年南海漂流記〜」
遂に帰還なる!!

不定期連載
第26話“帰還”更新!!(6/14)

短編・掌編小説バックナンバーも多数!!
  ↓  ↓
「MELODY CALLING」 by 田村充義「1000億光年の彼方」by奥山六九 「友人28号」 by 逢谷人「最後の22分」 byワダマサシ「過去との遭遇」by逢谷人 「ナオミの夢」by逢谷人 「学校教育」 by奥山六九「ルームメイト」 by角森隆浩「潮騒のカセット(洋楽編)」 「潮騒のカセット(邦楽編)」 by 逢谷 人「赤いスイートピー」by 逢谷 人

■STAGE2■

田村充義氏の新作、
「聞き録り屋と買い取り屋」完結!

平凡この上ない僕が始めたアルバイトとは…?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ショートストーリー・連載小説バックナンバー多数!!

YUMIKOUUMINAOKIMICHIRUby 杉林恭雄

走る女ゾロ目の法則 宇宙の3犬人
女子アナオールスター  ゲンジツトウヒローのダックウォーク
30年目のガールズトーク
 by 田村充義



■EXTRA STAGE■

「THE LOOONIES' ADVENTURE」


THE LOOONIES


青丸をクリックすると物語のトップにジャンプ!
まだお読みでない方は、さっそくどうぞ!

ルーニーズの冒険
全編完結…。

壮大な旅の驚くべき結末とは?!

ストーリーを締めくくる 「エピローグ」
お見逃しなく!!


◆NEWS!!◆
11/11,12にシンガポールで開催された
「ANIME FESTIVAL ASIA 2011」
経産省のCOOL JAPAN BOOTHに
THE LOOONIESが出展されました!!






知られざる名曲誕生秘話
井上陽水 『少年時代』完結。




遂に待望の電子書籍化、
絶賛発売中!


EPISODE1 「エンジェル・ハンズ」

〜誰しも心の中に鬼がいる。ある人は鬼と闘い、他の人は鬼に愛を感じる〜
恵比寿五差路に近い一軒のロックバー。
店の“テンシュ”と常連客には、共通の不幸な過去が生んだ秘密の固い絆があった。
彼らが命を懸けて立ち向かう“鬼”とは?

EPISODE2 「ファイアー・ウォール」

〜悲劇の始まりは、1999年の大晦日だった〜
恋人と肉親を一度に殺められた少年は、
やがて仲間と出会い、理不尽な犯罪と闘う“防火壁”となることを誓う。
不完全な法律が、その許されざる犯人を野に放った時…。

EPISODE3 「タイム・キラー」

〜私は“愛”のために“時”を殺した〜
1980年に起きた少年誘拐事件。身代金を運んだ父親は、二度と戻ってはこなかった。
時効成立直後、発見された三つの遺体。
昭和と平成、二つの時代の運命が再び交差したとき
そこに見えた驚くべき真実とは?

SpinOutCut 「ディープ・フォール・ブルー」

〜誰かを想う気持ちは、晩秋になりやっと熟成する〜
Barエンジェル・ハンズを舞台に起こった小さな恋のエピソード。
それは、ほろ苦いカクテルの味がした。
シリーズ初のスピンアウトストーリーをお楽しみください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



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2011年12月06日

「マーフィーの法則」の教訓

編集前記 BY ワダマサシ



マーフィーの法則――“悪くなる可能性のあることは、必ず悪い方になる。(Anything that can go wrong will go wrong.)”
言わば悲観論者の自虐的な経験則で、今から20年ほど前に日本でも同名の本が出版され一種のユーモア書籍としてベストセラーになったので、ご存知の方も多いだろう。
「車を洗うと必ず雨が降る」とか、「トーストを落とすと、必ずバターの付いている方が下になる。しかも高価なカーペットほどその被害を受けやすい」などが、その代表的な具体事例だ。

誰でも身の回りでマーフィーの法則を実体験していると思う。
楽観主義者を自認する私にとっても、「天気予報にしたがって自転車通勤を避けると、絶対に雨は降らないの法則」が今のところ鉄板で成立中。
他にも、「高い制作費をかけた曲ほど売れない」や、「オーディションで見逃したアーティストは、必ずビッグになる」などが、私のマーフィーの法則になってしまっている。
人間は学習するもので、この法則を逆手にとって「わざと悪い方を選択する」と言うやり方でマーフィー理論からなんとか逃れようと試みたりする。
巨人の熱狂的ファンだった私の父も、「応援すればするほど負ける」と言うマーフィーの法則を悟ったのか、強引に相手チームを応援すると言う「法則破りの奥義」を編み出していた。
しかし、その度に逆応援が功を奏して相手チームに凱歌が上がり、ここでもマーフィーの法則をさらに裏付ける結果になっていたっけ。

他にも、私の遭遇したマーフィーにはこんなのがある。
コンビニの法則(1)――財布の1円玉は、必ず支払い金額より1枚だけ少ない。
コンビニの法則(2)――空いてると思って並んだレジは、必ず宅急便の手続きをするヤツのせいでメチャ遅い。
携帯の法則(1)――重要な会話の最も重要なポイントで、必ず圏外になる。
携帯の法則(2)――着信に気づき出ると、必ずタッチの差で取れない。かけ直すと先方は必ず伝言入れてる最中で話中。これが交互に数回繰り返されることがある。
フォークダンスの法則(1)(別名:オクラホマミキサーの法則)――意中の人の一人手前で、チャンチャラララーラ、スッチャンチャンと曲が終わり、次に反対周りで再開。
フォークダンスの法則(2)――先生「女子の人数一人少ないからお前やってくれ」私「は、はい…」
サッカーの法則(1)――1点差で勝っている時のロスタイムは信じられないほど長い。1点差で負けてる時のロスタイムはほとんどない。
サッカーの法則(2)――ナイスシュートは必ずポストにはじかれる。相手のミスシュートはポストかDFに当たってゴールに吸い込まれる。
電気店の法則(1)――満を持して購入した直後に、新型が発表になり激しく値下がりする。
電気店の法則(2)――修理代は、必ず新品購入費よりも高い。
ユニクロの法則(1)――レアな柄のポロシャツほど、電車内で他人とかぶりやすい。
ユニクロの法則(2)――2枚買うとお得のセールで無理して買った物は、結局着ない。
料理の法則(1)――高い食材ほど調理を失敗しやすい。
料理の法則(2)――鰹節で丁寧に出汁をとったあと手際よくザルに取ると、肝心の出し汁は流しに、残ったのはザルの中のふやけた鰹節だけ。

こんな風にお笑いネタのような法則なのだが、中には真実であることが実証された事例もある。
なんと、最初に書いた「トーストを落とすと、必ずバターの付いている方が下になる」がそれ。
証明したのは、アストン大学のロバート・マシューズと言う暇な学者。
それを防ぐためには、3メートル以上のテーブルを使うべきだと彼は結論づけたとか。
バター面とそうでない面の空気抵抗のせいだろうか?
私としては、@トーストは落下開始の時、手に持たれているにしろ皿に置かれているにしろバター面が上である。Aテーブルの高さからそれを落とすと、空気抵抗を受けた落下中の回転により圧倒的にバター面が下になる確立が高い。ってのが理由じゃないかと思うんだけど。

他にもマーフィーの法則の研究者はいる。
スリーマイル島原子力発電所事故に触発された人間工学者リチャードW.ピューらは、人間が最悪の選択をする事態に対処すべく「マーフィー図(Murphy diagram)」なる理論(1981)を開発し、それは今や大小様々なプラント等の安全設計及び事故原因解析の代表的支援ツ−ルの1つになっているそうだ。

それにしても今回の福島原発の事故は、はからずも“悪くなる可能性のあることは、必ずいつか悪いことになる”と言う今法則を、悲劇的に実証することになってしまった。
「悪いことは避けようがないから、最悪を想定しろ」とも読み変えられるマーフィーの法則は、今我々に冗談ではすまされない重要な教訓を伝えているのかもしれない。

声を大にして言おう。
バター付きのパンさえ何度でも落としてしまう間抜けな人間が、不遜にも最悪を想定外と決めつけ、「未来にまで禍根を遺すような事態」を実際に引き起こしてしまった。
分かりきっていることじゃないか。
そんな施設など、もう金輪際持つべきではない!



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2011年11月29日

豆腐とレコード

編集前記 BY ワダマサシ



亡くなった我が愛犬の主食は、お湯でふやかしたドッグフードと炒って水分を抜いた「おから」を混ぜたものだった。
それに湯掻いた鳥肉を刻んでトッピングしてやると、喜んで残さずにペロリと平らげたっけ。
念のため「おから」とは、豆腐を製造する過程で出来る豆乳の絞りカスのこと。
別名「卯の花」とも呼ばれ、かつてはどこの豆腐屋の店先にも袋詰めにされ置いてあった。
ひじきや糸こんにゃくなどと甘辛く煮付けると、素朴な味の副菜になる。

近年めっきり食卓に登場しなくなり、一種の産業廃棄物のような立場になってしまったが、実はローカロリーで食物繊維の豊富な良質の食材なのだ。
その「おから」を愛犬のために大量に調達してくるのは、ずっと私の係りだった。
昔は歩いて数分のところにあった豆腐屋で簡単に手に入ったのだが、そこが十年ほど前に店仕舞いしたのを皮切りに近隣の同業者がバタバタと廃業し、愛犬が晩年を迎える頃には、わざわざ車で遠方に買出しに行ったものだ。

震災以降チャリで東京中を走り回るようになり、通りがかる商店街で昔ながらの豆腐店を見つけると、つい愛犬のことを思い出し、用も無いのにスピードを緩めてしまう。
そんな時、垣間見た店内で働いていらっしゃるのは、決まってご老人。
ここもそろそろ廃業なのだろうかと、なんだか二重に寂しい気持ちになってしまう。
むかし街中で小規模に製造販売され空の鍋を持参して買いに行った豆腐も、いまでは工場生産のパック入りの品をスーパーの店先で買うものに変わってしまった。
残念だが、そんな旧き良き文化も、継ぐ者がいなければ時代の趨勢に抗いようもないのだろう。
同様に、街中でめっきり目立たなくなっている商売が「レコード店」(敢えて古臭い言い方をしてしまって申し訳ない)。
レンタル店、大手チェーン店に押され、音楽パッケージ販売を営む数少ない店舗に客の影はまばらだ。

愛犬の思い出から「豆腐店」そして「レコード店」へと、錯乱したかのような話題の展開に困惑されているかもしれないが、実はこの二つの業界の規模は、かつてほぼ同じと言われていたのだ。
流通形態こそ変わったが、揺るぎようのない日本の食文化である「豆腐」(油揚げ、厚揚げなど関連商品含む)の年間消費量は、家計調査によれば1世帯あたり約1万円。
5110万と言われる世帯数を掛けて、年間5000億〜6000億の売上をほぼずっと維持している。
「レコード(音楽CD)」は2001年の年間総売り上げこそ5030億とほぼ「豆腐業界」と並んでいたものの、昨年の実績でついに2250億まで落ち込んでしまった。
配信売上860億を足しても3000億強。
豆腐業界の半分と言うのが、現在の「レコード産業」の規模の実態となってしまったわけだ。

さらに、ここにきて気になるニュースが入ってきた。
WEB音楽誌SIDE-LINE music magazineによれば、主要なメジャーレーベルは2012年、つまり来年末までにCDフォーマットによるリリースを放棄し、DLとストリーミングによる配信に方向を転換するというのだ。
CDをリリースするのは一部の限定盤のみの最小限に抑え、ストックに係るコストを軽減する為だと言う。
時期など細かい点の信ぴょう性はともかく、各社がその方向で動いていることは間違いない。
遅かれ早かれそうなった時、レコード店は街角から完全に姿を消し、パッケージの流通はAmazonなどに任せることになるのだろう。
DLによる売上も伸び悩んでいる昨今、豆腐業界のように消費規模だけでも維持していけるか?
まさに音楽業界は正念場を迎えたようだ。

音楽も食と同じ重要な文化であり、未来永劫不滅であることを信じたいが、次の仕組みへ移り変わるこの大変革期を、アーティストたちがどう乗り越えていくのかをしっかりと見守りたい。


posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 11:55| Comment(0) | 編集前記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月06日

サドルの上の視点・その後

編集前記 BY ワダマサシ



クロスバイクを購入したのは、たしか震災直後の3月末頃だった。
あの時非常時の交通手段の必要を感じていたことは確かだが、友人たちとひやかしのつもりで入ったサイクルショップで出会ったビアンキに一目惚れし衝動買いをしてしまったと言った方が実は正しい。
家族からは、どうせ真夏になれば音を上げて放り出すに違いないとタカをくくられていたが、どうしてどうして、あれからもう8ヶ月になるが、暑い日も寒い日も大雨でない限り都内は全て自転車で動いている。
自宅のある杉並から渋谷が主な移動コースだが、都内の細かい動きも含めると平均毎日30キロ、月に最低20日は乗っているとして、ざっと4800キロほどペダルを漕いだことになる。
考えてみれば、これは稚内〜鹿児島の“往復”に相当する距離。
我が脚の生み出すエネルギーで列島をすでに2度も縦断したのかと思うと、ちょいと自慢したくなる。
このまま行けば、来年の今頃は往年のパリ〜ダカールラリーに匹敵する12000キロを軽く達成しているはずだ。

気が付けば、東京には私のようなお調子者が多いとみえて、震災以降チャリで走り回る輩の増えたこと増えたこと。
免許いらずの気楽さのせいか、信号は守らない、ヘッドフォンしたまま走る、夜道で無灯火、挙句の果てはメールを打ちながら道の右端を走っている若い女性までいらっしゃる。
平成20年の道交法改正で、自転車は老人と子供以外、やむを得ない状況を除いて歩道を走れないことになっているのだが、実際にはほとんど守られていない。
私も嬉しさのあまり最初は無鉄砲に走り回っていたが、2度の転倒を経験し、今では極力慎重に運転するようになった。
お洒落なサイクルショップの数も増えたが、事故の数も同様で、さすがに警察も取締りを強化し始めたようだ。
余談だが、警察はバイクの性能の進歩に対応するのが遅いんじゃないだろうか?
荷物を満載しなければならぬ酒屋の配達車じゃあるまいし、いまだにあんな重そうな白チャリを採用しているなんて。
あれでは、引ったくり犯に簡単にぶっちぎられてしまうではないか。

さて、それにしても(前にもここで叫んだことがあるが)チャリのサドルの上は、なんと素晴らしい場所なのだろう!
仕事が終わった深夜など、初めての方は私と自転車を交互に見くらべ、「まさか、これから自宅まで?!」と驚かれる。
ペダルを漕ぐことは苦痛どころか楽しみなのだと説明しても、なかなか分かってもらえない。
本当に、私にとって一番“生と自由を実感出来る場所”がここなのに。
ランニングしている人が苦しみを通り越して恍惚感を覚えるのと同じで、ペダルを漕ぎ続けているとドーパミンやらβ-エンドルフィンやらの脳内物質が放出されるのだろう、心地よいほど浮き世離れした気分になってくる。
その時頭に浮かぶのは、現在や未来のことではなく、なぜか記憶の引き出しに大切にしまったまま忘れていたような過去のことが多い。
昨日の復路では、死んでしまった愛犬との楽しい思い出を翼にして、車影もまばらな井の頭通りを思う存分滑空した。

サドルの上でフラッシュバックする映像は日替わりで、ある時は若かりし日の両親の笑顔であったり、ある時は学生時代の海外旅行のワンシーンだったりする。
不思議なことに、家族や友人などリアルに明日も会える人のことは頭を過ぎらない。
人生の中でもう二度と手に入らないひとコマを取り出して再度鑑賞する場所として、サドルの上は最高なのだ。
それはきっとそこが、他の日常のどこよりも危ない場所、つまり少しだけ天国に近い場所だからなのだろう。
そこでは、後悔さえもほろ苦いスパイスとして好ましい物に感じられるから不思議だ。
おそらく危険を察知して分泌される脳内物質が、苦しむことを許してくれないのだ。
きっとF1レーサーも、懐かしい思い出を頭に浮かべニッコリ笑ってアクセルを踏み込んでいるんじゃないだろうか。
現在に悩みを抱え、未来に不安を感じる現代人は、みんなクヨクヨせずに自転車に乗って思い切り突っ走ればいいのに。
ただし本当に天国まで着かないよう、くれぐれも安全運転を。



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2011年10月22日

Facebookってどうよ?

編集前記 BY ワダマサシ



世界の全人口が70億人なのに、8億人を超すユーザを持つSNSってどういうこと?!
mixiも未経験のSNS童貞だった私が、やってないとまずいのではないか?という脅迫観念に駆られ恐る恐る始めたFacebookだったが、手探りでいじり倒しているうちに何となく分かってきた(ような気がする)。
まあ使い方なんて人それぞれ、ってことは分かり方なんて自分だけのものでいいのだと思えば、初心者ユーザーの“いろは”は理解出来たと言ってもいいかな。

さて、私がFacebookと言う言葉を初めて耳にしたのは、意外にもかなり早かった。
別に事情通をアピールするわけじゃないが、あれは2005年の夏のこと。
英国に留学中だった友人の御子息に久しぶりに東京で会った時、彼が当時のイングランドキャンパスの一番ホットな話題としてFacebookをPCの画面を見せながら夢中になって説明してくれたっけ。
日本にもmixiなるものがあって結構盛り上がっているのだと知ったか振りで応じた憶えがあるが、それが恥ずかしくなるほどFacebookのページのデザインは驚くほどCOOL!であの当時から今とほとんど似たようなものだった。
Facebookで知り合った学生たちと写真など様々な情報を送り合い、時には旅行先で実際に会ったりして親交を深めているのだと、彼は熱く語っていた。
当時Facebookのアカウントを取れるのは、学生たちに限られていた。
学籍メールアドレスしか受け付けない等かなり厳重な登録制限があり、それゆえ特権階級の秘密結社的な雰囲気がより学生達の気持ちにフィットしたのだろう。
一方、現役学生の交友関係や素行、主義・主張などを調べるのに最適だったため、海外の大手企業はFacebookの中にそっと入り込み、リクルートのスカウティング調査に利用していると言う裏の側面があることも、彼に教えてもらった。
おそらく当時のFacebookは、そんな情報を密かに企業に売っていたに違いない。
だって、所詮学生ハッカーが作った会社なわけだから。

やがて一般にも開放されたFacebookは、あっと言う間に世界を席捲した。
“友達の友達は、友達だ”の連鎖が細胞分裂のように広がった結果なのだろうが、気が付けば8億ユーザー!
遂には、チェニジアのジャスミン革命や、エジプトの政権交代を起こす民衆パワーの源になってしまったのだから、あな恐ろしや。
初めて存在を知ってから6年後、映画「ソーシャル・ネットワーク」の影響もあり、その勢いはついにTwitterで一杯一杯の私の下にまで押し寄せてきたと言うわけだ。
それも当然のこと、台湾や香港ではなんと全人口の二人に一人がFacebookを使っているのだと言う。
老人と幼児を除くと、もはや「全員」じゃないか!。
まだ日本では460万ユーザー(人口の2.5%程度)だと言うが、すぐに1000万を超えるユーザーを持つmixiを脅かす存在になるのだろう。

さて、開始以来の私自身のFacebookの利用状況の変遷は、以下のような感じ。
わけわからずのまま始め、誰でもするように、まず身の周りの知人から友人登録を開始。
目の前の友達に「頼む友達になってくれ」とリクエストするのも誠に奇妙なことだと思いながらも、旧友、遠隔地の友人、疎遠になっていた人々、と輪を広げ、徐々に登録友人数を増やしていった。
その間、自分からの情報フィード(ツイートみたいなものか?)はせずに、友人たちが送る近況を楽しく眺めながら、ROMメンバーとしてひっそりと暮らしていた訳だ。
そうこうしているうちに、突然懐かしい知人からのリクエストが舞い込み始める。
これが実名顔出し登録のすごいところ、向こうがこっちを見つけてくれるのだ。
その中に、時おり強烈なのが混じってたりするから面白い。
なに?!あの時あの経験を共にした、あやつではないか!?
例えば、Facebook内にグループを立ち上げたから強制参加ですと言ってきたのは、アメリカW杯最終予選いわゆる「ドーハの悲劇」の辛酸をスタンドで共に舐めたサポーター仲間たち。
15年も前に、成田で別れたっきりだった人々との交流がまた始まるなんて想像も出来なかった。(ありがとう、Yクン!)
同様に、とっくに辞めた会社の同僚の集いも立ち上げられ、先日メンバーの還暦の集いが行われ、懐かしい上司に20年ぶりにお目にかかることが出来た。
これぞFacebookの醍醐味、一生再び交じり合いそうもなかった人々との接点復活には最高のツールだ。
もちろん、こちらから「あの人を探してみよう!」とアクションを起こすことも出来る。
相手がどこに住んでいようが外人だろうが関係ない、見つけて友達リクエストを出し、挨拶すれば再び昔のようになれるのだから素晴らしいではないか!
音信不通だった昔の恋人に巡り会うなんてロマンティックなことも、期待できるだろう。

逆に、ちょいと注意しなければいけないこと。
友人数も伸び悩んできた頃(別に増やせば偉いと言う訳ではないと思いつつも)、この人は知り合いではないですか?とのFacebookの方からのお節介のアナウンスがどうも気になってくる。
明らかに知っていれば、即友達リクエストをだせばいいのだが、「ううむ、知っているような気がするな」と言う人々が問題だ。
特にそれが“ハッとするような美女”の場合、「うん。オレが忘れているだけだ。多分向こうは知っているに違いない」と勝手に解釈し、ついリクエストを出してしまうことがある。
私もある日、試しに美女への「友達になる」ボタンをポチっと押してしまったのだが、すぐに「友達リクエストが承認されました」との嬉しい通知。
これに味を占め、魔が差したように同様のリクエストをジャンジャン発信するとさあ大変。
まだ見ぬ美女の友人が増えると、不思議なことにそのまた友人の美女を「知らないか?」とFacebookの方が言ってくるのだから始末が悪い。
ふざけたことに、「知ってる?」と聞かれたから「はい、知ってるかも」と闇雲にリクエストを出すと、「本当に知ってんのかよ?(このドスケベが!)スパムになっちゃうよ」とFacebookがフェイントをかましてくることがある。
「オメエが聞いてきたんだろ!」と、警告を無視して多分見知らぬ美女にリクエストを出したら、「2日間の友達リクエスト停止処分にします」のイエローカード。
この迷える私に、沢山友達を作って欲しいのか大人しくして欲しいのか、はっきりしてくれ!
そんなこんなで、私の友達帳は見も知らぬ美女だらけになりそうになっていた。
そうなるちょっと前に「オレはいったいなんのために?」と気づいたからまだいいのだが、この手の「どう考えても出来すぎた美女写真」のアカウントは、間違いなくなんらかのマーケティング目的、そうでなければ弁慶の太刀集めと同じ、ただ5000友人達成を目指すファン収集家だ。
考えてごらんなさい、引くてあまたのはずの美女が、なにが悲しくてみず知らずのおっさん達と片っ端からお友達にならなければいけないんだい?
もちろん、ごく一部本当に他意なく男性の友人申し出を積極的に受け付ける美しい女性もいらっしゃると思うので、気を悪くせず聞いていただきたい。
でもね、Facebook友達をできるだけ沢山増やして一儲けしましょう!という趣旨の本が書店にズラっと並んでいるのだから、当然と言えば当然。
個人の場合も組織的な場合もあろうが、美女フェイスを餌に集蛾灯にあつまる夏虫のような男性群を大量に広告投下先として仕込むのがヤツら狙いなのだ。
実社会では絶対に有り得ない“美女の女友達がほとんど美女”であることの異常さに気づけば、誰でも見破れることなのだが。
つまり、驚いたことに餌同士も効率を上げるために積極的に虚構の美女友人関係を築いているのだ!
その結果、パーティーやセミナーへの誘いや、物販の勧誘などがばんばんフィードされてうざくなったら、大反省の後なんの役にも立たない美女アカウントをお友達貼から一掃すればいい。
友達になるのは勝手だが、ゆめゆめ「素敵な方ですね…」などと鼻の下を伸ばした虚しいコメントを残されませぬように。(どこかで、誰かに見られますぞ!)
私の場合、それを知った上で、いつかこちらからマーケティング情報を流すルートとして参考までに美女群を“古漬けにして”残すことにしてみた。
と言うわけで…、重要なのは、本当の友達筋のためと、仕事部分のきちんと線を引いた使い分け。
これができたら“FB道”の次のステージに行けるのかもね、と思っている。
そんな誰でも分かりそうなことにやっと気づいた初々しい自分に、「いいね!」



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2011年10月06日

ハングリーであれ、バカであれ

編集前記 BY ワダマサシ



米アップルの創業者、前CEOスティーブ・ジョブス氏が、今日(現地時間5日)56歳という若さで亡くなった。
奇しくも同社の新製品iPhone4Sの発表の日だった。
ジョブスの波乱に満ちた経歴や偉大な業績の詳細については報道やWikiに任せるが、身の回りのMac、iPhone、iPod、iPadなどのアップルの革新的な製品の数々を見るにつけ、彼が今のコンピューター社会の礎を築き、それを牽引してきたことを痛感せずにはいられない。

成功した多くの起業家の中でも、ジョブスほど頭の若さを失わなかった人物はいないと思う。
アップルの製品がいつも先入観を覆すような新鮮な驚きに満ちているのは、彼自身の柔軟でアーテスティックな考え方を常に反映しているからだろう。
直感や感性を重視するミュージシャンやデザイナーなどのアーティストがWindowsではなくMacを熱狂的に支持するのは当然のことなのだ。

「毎日を人生最後の日であるかのように生きろ。そうすれば必ずひとかどの人物になれる」
17歳の時に出会ったこの言葉に忠実に従って生きてきたジョブスが、末期と診断された膵臓癌を一旦克服した後の2005年に、スタンフォード大学の卒業生を前に行なった伝説のスピーチがある。
どんな解説よりも彼の偉大さを伝えるこのビデオは、一見の価値がある。
Stay Hungry, Stay Foolish 〜ハングリーであれ、バカであれ
スピーチを締めくくった彼のメッセージを心に刻みたい。




テキストでスピーチの内容を読みたい方は、
我ら、地域の仕掛け人に小野晃司氏の訳文が掲載されています。
posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 10:55| Comment(0) | 編集前記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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