WHAT'S NEW? 3/22


NEWS!!
エンジェル・ハンズ
遂に待望の電子書籍化、
絶賛発売中!!




■ENTRANCE■

編集前記エッセイ更新しました。(4/15) 

■STAGE1■


海洋冒険小説
Missing 3 〜中年南海漂流記〜」
遂に帰還なる!!

不定期連載
第26話“帰還”更新!!(6/14)

短編・掌編小説バックナンバーも多数!!
  ↓  ↓
「MELODY CALLING」 by 田村充義「1000億光年の彼方」by奥山六九 「友人28号」 by 逢谷人「最後の22分」 byワダマサシ「過去との遭遇」by逢谷人 「ナオミの夢」by逢谷人 「学校教育」 by奥山六九「ルームメイト」 by角森隆浩「潮騒のカセット(洋楽編)」 「潮騒のカセット(邦楽編)」 by 逢谷 人「赤いスイートピー」by 逢谷 人

■STAGE2■

田村充義氏の新作、
「聞き録り屋と買い取り屋」完結!

平凡この上ない僕が始めたアルバイトとは…?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ショートストーリー・連載小説バックナンバー多数!!

YUMIKOUUMINAOKIMICHIRUby 杉林恭雄

走る女ゾロ目の法則 宇宙の3犬人
女子アナオールスター  ゲンジツトウヒローのダックウォーク
30年目のガールズトーク
 by 田村充義



■EXTRA STAGE■

「THE LOOONIES' ADVENTURE」


THE LOOONIES


青丸をクリックすると物語のトップにジャンプ!
まだお読みでない方は、さっそくどうぞ!

ルーニーズの冒険
全編完結…。

壮大な旅の驚くべき結末とは?!

ストーリーを締めくくる 「エピローグ」
お見逃しなく!!


◆NEWS!!◆
11/11,12にシンガポールで開催された
「ANIME FESTIVAL ASIA 2011」
経産省のCOOL JAPAN BOOTHに
THE LOOONIESが出展されました!!






知られざる名曲誕生秘話
井上陽水 『少年時代』完結。




遂に待望の電子書籍化、
絶賛発売中!


EPISODE1 「エンジェル・ハンズ」

〜誰しも心の中に鬼がいる。ある人は鬼と闘い、他の人は鬼に愛を感じる〜
恵比寿五差路に近い一軒のロックバー。
店の“テンシュ”と常連客には、共通の不幸な過去が生んだ秘密の固い絆があった。
彼らが命を懸けて立ち向かう“鬼”とは?

EPISODE2 「ファイアー・ウォール」

〜悲劇の始まりは、1999年の大晦日だった〜
恋人と肉親を一度に殺められた少年は、
やがて仲間と出会い、理不尽な犯罪と闘う“防火壁”となることを誓う。
不完全な法律が、その許されざる犯人を野に放った時…。

EPISODE3 「タイム・キラー」

〜私は“愛”のために“時”を殺した〜
1980年に起きた少年誘拐事件。身代金を運んだ父親は、二度と戻ってはこなかった。
時効成立直後、発見された三つの遺体。
昭和と平成、二つの時代の運命が再び交差したとき
そこに見えた驚くべき真実とは?

SpinOutCut 「ディープ・フォール・ブルー」

〜誰かを想う気持ちは、晩秋になりやっと熟成する〜
Barエンジェル・ハンズを舞台に起こった小さな恋のエピソード。
それは、ほろ苦いカクテルの味がした。
シリーズ初のスピンアウトストーリーをお楽しみください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



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2012年02月12日

花粉症より怖いもの

編集前記 BY ワダマサシ



まいったな…、例年よりずっと早く始まっちまった。
周りが騒ぎ出してしばらくしてから発症するのがいつものパターンだったのに。
先週末から突然、鼻の奥がムズムズ、くしゃみ連発。
昨日の夜には、サラっとした鼻水が自動的にタラタラと滴るようになってしまった。
今シーズンの花粉症自覚は、井の頭線渋谷駅の改札を出た途端だった。
コンコースの人ごみの中で突如鼻の奥にツーンと言う刺激を感じ、同時に目からジワッと涙が…。
思わずウワっと声を出し拳で瞳をぬぐったが、傍から見れば情緒不安定の泣き虫おやじ。
チャリで東京中を走り回っていても何事もなかったのに、たった一日電車に乗っただけで、私のデリケートな花粉溜めが決壊してしまったようだ。
人々の衣服に付着している花粉が集積され、駅の構内や電車内に堆積しているのだろう。
これが一旦始まると、もうどうにもならない。
まぶたが腫れて鼻はガビガビ、ルックス的にも3割ほど精彩を欠いた感じになり、さらに微妙に倦怠感を覚え仕事にも支障をきたしてしまう。
これから桜が咲く頃まで、憂鬱な日々が続くのか…。

今年の花粉は予報によれば少ないらしいが、やはり放射性セシウムが付着している模様。
林野庁の調査によれば、福島県浪江町の杉の雄花から1kgあたり25万3000ベクレルが検出されたと言う。
この花粉が最高濃度に大気中に浮遊している時に、24時間花粉シーズンの4ヶ月間吸い続けると、累計0.553マイクロシーベルトになるらしい。
林野庁によれば、「人体への影響は極めて低い」と言うレベルだそうだが、そう言われると逆にホントかよ?って疑いたくなってしまう。
今まで全部そのセリフで誤魔化されてきたわけだから。
少なくとも花粉症にかかったと言うことは、花粉が少量でも体内に付着侵入したことの証であり、その花粉にセシウムがもし付着していたら?と考えないほうがおかしい。
さっきも言ったように、花粉は衣服に付いて人ごみの閉ざされた空間に堆積する。
空気中に漂う濃度を平均的にとらえれば安全な数値かもしれないが、もしかしたら都会の人ごみに汚染花粉のホットスポットが出来つつあるんじゃないだろか?と、私の正確な鼻ガイガーカウンターが警告している。
むしろ、花粉症の人なら避けようがあるが、花粉に鈍感な人は吸い放題の恐れが…。

それにしても、大気、雨、花粉、チリ、ホコリ、水、農産物、魚、肉などなど、身の回りのあまたの物を端から疑ってかからなければいけなくなった落とし前は、誰がどうつけてくれるんだろう?
3.11が接近し、メディア、特にテレビ各社は、震災一年目の総括的特番を競って企画しているらしい。
現地に赴いたそれらの番組の制作スタッフが、各被災地でテーマごとに「出来るだけ悲惨な事例」を探し廻っていると聞いた。
番組のネタとして成立しやすいと言う理由は理解出来ないではないが、震災の悲劇さえも視聴率競争の一つのお題目になってしまうことを苦々しく思うのは、私だけではないはずだ。
ショッキングな映像やセンセーショナルな話題はもうたくさん。
大切なのは、言うまでもなく速やかな被災者の救済・地域の復興であり、ポスト原発のエネルギー政策であり、二度と悲劇を繰り返さないための防災計画だと思う。
すべての項目において責任の所在に言及し、未来に希望を持てるような、勇気ある報道を期待したい。

政府もメデイアも企業も、政局だの視聴率だの業績だの、目先のミクロなミッションに振り回されずに、もっと先を見据えて構えられないものだろうか。
そんなものが、子供たちの「命」や「健康」や「平穏な生活」と天秤にかけられていいはずがない。
あと十数年先、放出された「目に見えぬ毒」が実際に人体に影響を及ぼすような事が不幸にして起こり始めた時に、「原発事故との確たる因果関係は直ちには証明出来ない。(誰かがいかにも言いそうな台詞)」などと言う子供みたいな逃げ口上がまかり通らない世の中にしなければ。
ばら撒かれたのが杉花粉なら「余剰杉林を根絶せよ!」などと大騒ぎしないでおくが、アレはいけません、アレは。
責任者呼んで来い!



林野庁のスギ雄花に含まれる放射性セシウムの濃度の調査結果(プレスリリース)
posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 14:06| Comment(0) | 編集前記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月16日

路傍の手袋

編集前記 BY ワダマサシ



路傍にポツリと放置された片っぽだけの手袋。
一人ぼっちで誰かに“おーい”と助けを呼んでいるようじゃないか。
この手袋が生き別れになってしまった相方に再び巡り会える確率って、いったいどれほどなのかな?
おそらくゼロに近いかも…なんて余計なことまで考えて、悲しい気持ちになってしまう。
それにしても、こんな光景をこの冬何度見たことだろう。
去年よりも手袋の落し物が劇的に増えたはずはないのに、何倍も多いと感じてしまうのは私の心とそれに伴う俯きがちな視線のせい?
そこでハタと気がついた。
こんな風にセンチメンタルなセンサーの感度がよくなってしまったのは、きっとあの震災のせいなのだ。
誰もが当たり前のようにささやかな幸福をそれなりに享受していた去年の冬、道に落ちた手袋などが感傷的に視界に入り込む隙などなかった。
きっと震災の記憶が、東京に住む私の物の見方まで変えてしまったのだろう。
言わんや、被災地の方々におかれては、変化はその比ではないと思う。

復興の途上にある被災地を除けば、全て元に戻ったかのように見える日本。
でもやはりあの日から、日本は、そして日本人は、いろんな面で変わっていたんだ。
友人の作詞家は、震災直後に被災地にボランティアで入ったっきり、いまだに東京に戻ろうとしない。
フェイスブックのウォールに、何もしてくれない政府を糾弾し、復興支援や反原発を呼びかけるフィードが舞い込まない日はない。
私自身、署名だろうが義援金だろうが、今まで考えられないほど抵抗なく反応出来るようになった。
気が付けば、電車に乗っても、街を歩いていても、見知らぬ他人の温もりを近くに感じるようになっていた。

自然環境と言う面では、以前と比較にならないほど、どころかもう取り返しがつかないほど悪くなってしまった。
そして、その責任を決して取ろうとしない、政府、役所、電力会社などのどうしようもない体制。
でも、それを少しでも補うために、そんなことに絶対に負けないために、人々は「良く」変化し、連帯を始めたのかもしれない。
願わくば、日本にも小さなジャスミン革命が起きますように。



FRYING DUTCHMAN - humanERROR
http://fryingdutchman.jp/parade
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2012年01月07日

恵方巻に習え!

編集前記 BY ワダマサシ



通り道のセブンイレブンの店頭に「昨年度販売520万本」のおめでたいポスターが。
なんのこっちゃとよく見てみれば、ある方角を向き節分の夜に無言で丸かじりすると願い事が叶うとされる例の“恵方巻(えほうまき)”の予約告知だった。
セブンイレブンだけでそんなに売れるんなら、ファミマやローソンやミニストップ、サークルKやデイリーヤマザキや全国各スーパーや寿司屋店頭など全部足せば、もしかしたら今年の売上は5000万本ぐらい軽くいっちゃうんじゃないかしら。
一本380円として、…なんと190億円!
これはもうクリスマスのケーキ、正月のお節、バレンタインのチョコに並ぶ立派な冬枯れ対策の季節物キャンペーン商品と言えるじゃないか。
それにしても、気が付けば5000万もの人たちが予約をしてまでありがたがらねばならぬことになっていた恵方巻って、いったいなんなんだよ?
少なくとも私は一回も恵方巻を食べたことがないし、その存在を知ってから10年も経っていないと思う。
関東人の私のあずかり知らぬ霊験あらたかな根拠があるのかとさっそくググってみて驚いた。

まさか…!
関西の旦那衆が遊女に寿司の太巻をくわえさせて面白がったのが始まりの商業的催事?!
花柳界の下卑た戯れが、なんで庶民の願掛け習慣にすりかわってしまったんだ?
驚いたことに、戯れ事の発祥から遥か時を経て、戦前より土用の丑の日に需要のピークを作り上げていた鰻業界に対抗し、1955年に海苔の販促手段としてどこぞの商才のある商人が寿司業界と結託してブラッシュアップした作りごとが、縁起のいい方角を向き丸かじりすると言う“恵方巻”のもっともらしい作法だったと言うわけらしい。
ただの販促キャンペーンを歴史と伝統の宗教的催事風味にまで高めるとは、大阪商人はなんと逞しい!

なんでも、2012年の恵方(縁起のいい方角)は「北北西やや右」。
食べ方の約束事は「途中でやめずに一気に食べる!食べている間は終始無言で!黙々と!」だそうだ。
誰がその方角決めたんだよ!しかも「やや右」ってなんだよ!?
まったく笑えるぐらいウソ臭いが、信じる者は救われるのだろう。

新しいニーズを創出したいと考える不況の業界は、恵方巻の世の中の巻き込み方を参考に販促プランを考えるべきなのかもしれない。
「満月の夜に新品のCDを三枚買い、月光の窓辺にジャケットを飾り休まずに一気に聴くと恋が叶う。しかし決してコピーしてはならない!」とかさ。



posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 14:03| Comment(1) | 編集前記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月19日

「歌ってみた」と「歌わせてみた」

編集前記 BY ワダマサシ



ちょっと前まで、アマチュアが音楽を志すと言うことは、楽器を手に入れ仲間を募ってバンドを組むこととほぼイコールだった。
コンピュータのおかげでミュージシャンなしでも卓上で音楽が作れるようになり、そんなアマチュアの常識も少しずつ変わっていったのだろう。
デスクトップミュージック(DTM)の普及は、当然ながら機材やソフトウェアの価格をどんどん押し下げていった。
やがて、プロレベルに近いシステムが誰にでも手が届きそうな価格になり、音楽制作人口の裾野は大きく広がった。
友達がいなくても、お金持ちのスポンサーがいなくても、別に国家試験がある訳じゃなし、その気があれば誰でも音楽を作れるようになったのだ。
ヒップホップやダンスミュージックのエリアでは、その恩恵を受け早くから頭角を表すトラックメーカーと呼ばれる才能が続出した。
同じパターンがひたすら繰り返されるそれらのジャンルでは、専門的な音楽知識よりもセンスで勝負出来たのだろう。

2004年に、DTMの最後のピースだった「歌」が、ヤマハの開発したボーカロイド(VOCALOID)技術によって埋められ、ボーカリストがいなくても卓上で「ボーカルもの」の全てを組み上げられるようになる。
多くの余暇時間を一人自室のPCモニターと向き合い、生身の人間よりも2Dの世界を愛好する「オタク」と呼ばれる人種は、もともとDTMやボーカロイドにのめり込む資質を備えていたのだろう。
そんな人たちが音楽制作に参画するようになったのは、間違いなく大きな変化だったのだ。
それは、彼らが好む「アニメ」や「ゲーム」「アイドル」と言ったジャンルに限って、いまだにマーケットが賑わっていることと、決して無関係ではない。

リスナーのプロデューサー化を後押しするような別の出来事も、時を同じくして起こる。
大ヒットしたナムコのアイドルプロデュース体験ゲーム「アイドルマスター」がアーケードに設置開始されたのが2005年。
「会いに行けるアイドル」のコンセプトでAKB48プロジェクトが始まったのも、同じ2005年のことだった。
どちらも、ある種の若者達の熱狂的な支持を得て、ひとつのジャンルを形成するまでに成長した。
もしかしたら、受け手にプロデュースの余地を与えると言う考え方の始まりは、この年だったのかもしれない。

そんな二つの流れに後押しされるように、2007年に発売された「初音ミク」と言う音声キャラクターの大ヒットによって、ボーカロイド音楽は一気に広まっていった。
高速インターネットの普及により、孤独なアマチュアクリエーター同士が横に繋がることが容易になったことも追い風になった。
演奏データだけでなく、オーディオデータもスムーズに投げ合うことが可能なったのだから。
誰かが曲を作り、誰かが詞をつけ、誰かがそれに歌をダビングし(あるいはボーカロイドに歌わせ)、誰かが画像をつけPVをYouTubeやニコニコ動画にアップロードする。
かくして、新しい形のアマチュア音楽文化が知らぬまに地下で熟成していった訳だ。

“〜を歌ってみた”的なタイトルのビデオがYouTubeなどの動画サイトに溢れていることにお気づきだろうか?
YouTubeの検索窓に「歌ってみた」と入力してみれば一目瞭然。
アニメソングやゲームの挿入歌など、一般人が絶対に知らないであろうアマチュア制作のボーカル作品がずらっと並ぶ。
その中に、何十万、何百万と言う再生回数を記録する知られざるコンテンツが数多く存在していることにきっと驚かれるだろう。
同じように「歌わせてみた」を検索してみて欲しい。
初音ミクなどのボーカロイドに自分の好きな歌を歌わせたクリップが無数に上がってくるはずだ。

「歌ってみた」や「歌わせてみた」をキーワードとした、言わば「ネットサブカルチャー音楽」の隆盛の上昇曲線は、レコード業界の凋落の曲線とほぼリンクする。
レコード会社の心配をよそに、音楽は地下で十分に愛好され聴かれていたのだ。
プロが制作したメジャーコンテンツの失速分を、地下のマイナーなアマチュアコンテンツが穴埋めしていたとは!
リスナーが上流から与えられた音楽に素直に反応し満足する時代から、アマチュア同士が下流で熟成させて楽しみ合う時代への「革命」が静かに起きていると捉えるのは、少し穿った見方だろうか?

しかし、それらのアマチュア音楽文化は楽しむものであって「無償提供」が基本。
したがって、ビジネスとそりが悪いと言う側面を持つ。
新しいアーティストもそこからは生まれにくいし、結局は同好者同士の趣味の共食いに終わり、ネットの密室を飛び出して世の中全部を巻き込むようなヒットになるのは今のところ難しい気がする。
そんな中、メジャーがトライした“きゃりーぱみゅぱみゅ”はボーカロイド的なアプローチと奇抜なクリップを武器にネットで支持され、世界各国のダンスチャートを賑わせたが、アーティストとしてメインストリームになれるかどうかはまだ未知数だ。

それにしても、激しく変わりゆくマーケットの状況を踏まえた上で、これからの時代のユーザーにしっかりと訴求し、なおかつビジネスに成りうるコンテンツを作り出すのは至難の業に思えるが、その答えは意外に簡単なところにあるようにも思えるのだ。
「それは、何なんだよ?」って?
「さあね…」
危機感を叫ぶのが大好きなくせに、きっと私は心底楽天家なんだろうな。



posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 10:36| Comment(0) | 編集前記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月12日

インターネット広場の大道芸人

編集前記 BY ワダマサシ



今の音楽業界の一番の悩みは、パッケージが商品価値を急速に喪失しつつあること。
何でこんなことになっちゃったの?と問われれば、レンタルCDからの複製や違法ダウンロード、ネット動画などの無料ストリーミングを利用すれば、せいぜいCD購入価格の10分の1程度、多くの場合タダで音源そのものが手に入るのに、わざわざそれ以上のお金を払ってまでパッケージを購入する必要がないという至極シンプルな理由に尽きる。

インターネットやテクノロジーがここまで進化した今の世の中をひとつの広場に、アーテイストをそこで音楽を奏でる大道芸人に例えるとしよう。
もはやどうあがいたところで、広場中の誰の耳にも音楽は無償で届いてしまう。
その芸人の帽子に投げ銭を入れるかどうかは、すでに聴衆の判断に委ねられているのだ。
金を払わないヤツには聴かせないと、凄んで見せるのは滑稽なことなのかもしれない。
パッケージの製造販売を生業としているレコードメーカーが変化への対応を求められ、果たせなければやがて淘汰されていくのはやむを得ないことだろう。
しかし、「音楽」が人々から全く求められなくなるわけはないので、それをビジネスとして継続させるための「新たな集金方法」を皆が模索している状態が正に今なのだ。

その答えの一つが、絶対に複製の出来ない生のアーティストの時間の切り売り、つまり例え話じゃない「ライブパフォーマンス」であることは言うまでもない。
チケット販売のみならず、公演会場でのCDを含めたグッズセールスも大きな集金の機会であることから、レコードメーカーはマーチャンダイジングも含めて包括的にアーティストと契約せざるを得なくなってきている。
逆に言えば、ライブパフォーマンスに対して、ファンが何度でもチケットを購入するほどの価値を見いだせるアーティストだけが、今後生き残って行けるのだろう。
考えてみれば、エジソンが蓄音機を発明する以前にも、音楽ビジネスはそれなりに成立していたのだから。

この土日の間に、全くジャンルの異なる、と言うより両極端のファンを持つアーティストのコンサートを続けて二つ観てきた。
どちらも満員の盛況で、色々な意味で今後の音楽ビジネスの行方を示していると強く感じたのでお伝えしておこう。
まずは土曜日に観た、中野サンプラザで行われた「恵比寿マスカッツ」のアジアツアー凱旋公演。
ご存知ない方もいらっしゃると思うが、「恵比寿マスカッツ」とは深夜のテレビ番組内で結成された大人数(公式サイトによれば26人組)の歌手グループで、メンバーは全てAV女優とグラビア・アイドル達。
言わば音楽的には素人だらけというその成り立ちからして、色眼鏡で見られやすいアーティストではある。
私も少なからずそんな気持ちを抱いていたのだが、キャパ2200を数える大ホールを満員にし、ほぼ男性で占められるオーディエンスを熱狂させているのを目の当たりにし、考えを改めなければと思ったものだ。
注目すべきポイントはいくつもあったが、まず感心させられたのが、メンバーのオンステージの時のハートの強さ。
舞い上がるどころか、大ホールでのパフォーマンスを無邪気に楽しんでいるような姿勢が小気味いいほどで、多少の踊りや歌のつたなささえも、大きな魅力に変えていた。
パフォーマンスから仕掛けてきたAKBなどと同じで、人数が多いというだけで生じるスペクタクルな要素が最大の武器なのだろうが、どうしてどうして個々の個性がトークや演出で伝わってくるのには驚いてしまった。
どうやってここまで鍛えたのか、それとも彼女たちのもともとの資質なのかは判らないが、人前に出ることを許される人の資格を全員が持っていると強く感じさせてくれた。
テレビバラエティー的な演出も、ファンの望みを読みきっているからなのだろう。
そして、何よりも感心したのはツボを突いた楽曲の作り。
全ての曲に言えるのだが、敢えて超B級チープな構えを装いながら、実は計算ずくの知的ゴージャスさを裏に控えさせている。
絶対に高みからリスナーを見下ろすようなことをせずに、まるで「こんなのでいかがでしょう?」とやや下からの目線でリスナーの土俵に献上している。
例えるならば、一流のシェフがご当地B級グルメ大会に狙って勝ちに行っている感じ。
観客がまんまとその術中にはまり、全力のコールで声をからせているのを見て確信した。
jam&liceという彼女たちの音楽のプロデュースチーム、ただものじゃない。(実は、本当にただものじゃないのですが…。)

翌日曜日に小金井市民交流センター大ホールで観たのは、Everly(エヴァリー)と言うバイオリン、チェロ、ピアノ、クラリネットというクラシック編成の男性4人組みユニット。
メジャーな活動はほとんどしていないので、ご存知の方はあまりいらっしゃらないのではと思われるが、もう10年も同じメンバーで活動しているそうだ。
新設のキャパ500を超えるホールは、子供連れのファミリー客や熟年・初老の有閑層などでこれまた満員。
この日はボーカル入りのJポップ風味のオリジナル曲なども披露していたが、メインはクラシックアレンジされたスクリーン・ミュジックやディズニー音楽などのホームミュージック。
安心して子供を連れて行けるコンサートを、どこの沿線の駅にもある箱もの施設を使って年間何十本も行い全て満員にしていると言う。
その集客力は一朝一夕で手に入ったわけではなく、彼らは自分たちだけで実際に公園で投げ銭を得るパフォーマンスを積み上げてきたらしい。
驚いたことにコンサートが終わるや否や、ロビーで次回のコンサートチケット発売及びCD即売兼サイン会を毎回行うのだが、全員並んでいるのではと思わせるほどの長蛇の列だった。
閑散としたCDショップではここ何年もお目にかかったことのない、飛ぶようにパッケージが売れる様を目の前で見て、感慨ひとしおだった。
この方向でもっとパフォーマンスの精度が上がれば、次のステップが見えてくるのではと感じた次第。

音楽を求める人は絶対にいなくならない。
そんな人は絶対にアーティストの生の存在に触れたくなるもの。
個々のリスナーの細かな要求に応え、かゆい所に手が届くように、そして隙間を埋めるように、パフォーマンスを軸に置いたマーケットを丁寧に育てていくこと。
まったく異なるリスナーに目掛けた二つのコンサートは、今までマス媒体対策に偏重し無駄に空回りを続けてきた懲りない音楽業界に、いい加減に原点に還れと促しているようだった。



posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 16:24| Comment(0) | 編集前記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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